Tuesday, March 20, 2012

大人しくしろ、裁判員として

賛成派だ。最も根底から考えてみた。

私は裁判員制度そのものが国民主権の民主主義を代表するといってもすぎることがないほど良いと思う。憲法がそう定めても、国民一人一人が自立しなければ、民主主義は達成しようがない限り、裁判員制度はきっかけになり得るとも言える。

多 くの人が反対するのは被告に罰を与えると決める時に高まっているストレスにほかならぬ。言うまでもなく、法の素人にとってそれがとんでもない責任の重さを 初めて味わうかもしれない。だが、自立した大人ならば、自分の意見を信じて、きちんと叱るべきだ。「そんな難しい判断は専門家に委ねたい」とか、「高裁も そう言ったら、仕方がなかったんだ」というのは、自立している姿はどうも見えない。自分の責任で人を裁くとなると、尻込みする感情は分からないも のでもないが、あえて賛成できることもない。実際には、テレビでニュースを見る場合にいったっては、「これは死刑でも仕方ないよね」など、油断せずに裁け るわけだ。という訳で、制度に見直しを要るかどうかはともかく、大人らしく判断して、結論を言い渡す勇気がないのは見るに耐えないから、裁判員制度はその 勇気をもたらすものだと思う。

いわば、裁判員制度は国民の民主主義のひとつである権利と義務に繋がる大切な一つだ。その様な反対意見故に、民主主義の理念が国民のものに何年が経ってもならないのだ。そういうところは、多くの国民がもっと司法制度に対して、 賛否にかかわらず、真剣に考える機会になるという裁判員制度が必要だ。投げ出さず、避けようとせず、あえて挑戦して、子供たちの為に今の大人が将来から尊 敬される原動力が裁判制度のみだけではなく、国への愛を育成、誕生させる一人ずつが政治に参加する動力が、今のこの国に欠けていると思っている。その良識 は人間としてあなたの自信が育てるあげく、余りに情けない「専門家に丸投げ」ということが消滅するうえで、民主主義を誇りになれて、民主の精神を国民が徹するわけだ。

最後にオスカーワイルドが言ってくれた名言を引用させてもらおう。「デモクラシーは単に人民の、人民による、人民のために、こん棒で打ち倒すことを意味する」というのこそ、裁判員制度を描いているのではあるまいか。

 

Sunday, March 4, 2012

勉強しよう

アメリカ流の科学の殿堂は、「直観」の重要性を教えてくれる。
Intuition=直観で結論を出せ。それをファクトと論理で裏付けろ。アメリカのビジネス・スクール、自由主義思想の殿堂のシカゴ大学で学んだのは、論理以上に直観の重要性。
ファクトは、よく見て、よく読みます。でも、けっして論理的な思考法とやらで結論を順々に作るようなことはしない。直観で、最初に自分の結論を考える。その考えを導出するための閃きを、我がモノにするのが、思考ということ。
「直観」を鋭く。普通の目付きで、物事を見て、新しいこと、不思議なことに興味を覚え、自分の体験の幅と質と、量を拡張子、他人の体験までも我が物にし、そして、閃きは、生まれるようになってくれる。
僕が、好きな、人文科学系の読書、古いメカニック系の趣味、美術への関心、スポーツ・ビジネスへの興味、大企業組織、中小企業、ベンチャー企業、オーナー企業のみならず、そういったすべてのものが、僕の閃きをうみだしてくれる。閃きを得たいがために、閃きを得る楽しみの味が忘れられなく、それで、好奇心と行動が生まれてくるよう。
直観を高めよう、何でも見てやろう。何でもやってやろう。何でも楽しもう。何でも勉強しよう!